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ポカラへの旅 隅田 昌之 先生
ポカラへの旅

広島赤十字・原爆病院 脳神経外科
隅田 昌之

 今回のネパールへの旅は私にとって4回目、そして4年ぶりの訪問です。パント先生主催の学会参加が主な目的であり、初めての多くの人達と一緒の旅でした。行きは栗栖夫妻、大庭夫妻と関空、バンコクでの待ち時間との戦いの飛行でした。やはり旅を快適に過ごすにはどこでも寝られる健康な身体が一番とあらためて感じました。宿で紅茶を飲んで早速なつかしいスワンビナートよりカトマンズの町を眺めました。雲の間に少し薄日が差しこみ、以前と変わらぬ煉瓦造りの家々はさらに郊外に広がっていました。市内へと車をすすめるとあちこちでラッシュ、ネパールでの最近の活気がうかがわれました。
ポカラへは初めて訪れました。雨の中小型飛行機にて出発、結局楽しみにしていたヒマラヤの姿は私の前に一度も現れませんでした。バスにて学会会場のホテルへ着くと民族衣装をまとった人々が踊りや楽器を奏でてお迎え、一緒に歩きながら会場へ向かいました。日本式の大浴場もありレセプションを含めての食事もおいしく、ホテルライフは快適でした。学会には日本だけでなく、アジアよりも脳外科医が集い、若い医師達も多く参加していました。発表も日本と同じパソコンをモニターにつなぐ方法で、世界での情報距離の接近に驚かされました。もちろんパント先生は学会の中を携帯電話片手に飛び回っていました。私はホテルでしばらく籠もって苦手な英語の練習をして、なんとか発表を終えることができました。
学会の合間をぬって、田んぼに囲まれる穀倉地帯をぬけて少しポカラのめぬき通りを歩いてみました。国内紛争が嘘のように昼下がりの店ではいろんな食べ物を売っていました。のぞき込むと日本ではもう見られないアイロン屋、鍛冶屋などで懸命に仕事に打ち込んでいました。またポカラのゴルフコースへも一人でかけました。ティーグランドを訪ねると崖の上を指さされました。下を覗くと、川沿いに芝生が見えますが、何個もグリーンらしき場所がみえます。崖にかかっている何十段の階段を落ちないように注意しながら降りると、牛たちがのんきに草を食べていました。グリーンは牛除けの鉄柵に囲まれていました。おじさんがつえでグリーン上の糞をはき、始めてパットができました。最終ホールが終わり疲れ切った私の前に絶壁がそびえており、バッグをかつぐおじさんにうながされてなんとか階段を登りきりました。もちろん学会のレセプションにはベッドで熟睡の私の姿はありませんでした。
旅のもう一つの目的は恩師を訪ねることでした。神父である先生は50歳の時教育や医療の貧しいネパール行きを自ら決心され、単身でポカラへ移住されました。そこで最初に家を借りて教会を立ち上げるばかりでなく、障害者施設、外来クリニックを貧しい人々のため開設され、徐々に活動を広げられています。学校ではいつも背筋をのばし生徒の服装、態度をしかっておられましたが、苦労話や冗談を交えながらつねに笑顔にて応対されました。80歳を超えなお、教会や施設を大きくする具体的な計画を進められていました。意志を30年間貫かれた重みを考えながら、子供達の笑顔であふれる施設をあとにしました。
最後に大庭先生の血管内手術の見学とともにパント先生が最近働いている私立病院を見学しました。CT、血管撮影ばかりでなく近々MRIも導入される予定だそうです。20年前私が脳神経外科をめざした時より多くの器機が揃っていました。しかしここでの医療は限られた人のみ受けることができます。日本の先人達に感謝しながら、ネパールでもパント先生をはじめ多くの医師が自国にて奮闘し続けることを願いつつ帰国の飛行機へ乗り込みました。

スワンピナート寺院
学会のお向かえ楽団
ポカラの崖っぷちのゴルフコース